『君は何と闘っているのか』

僕のフィーリンググッド


あとがき

 中学生の頃から高村光太郎の詩集を読みはじめた。

「道程」という詩が気に入り、模造紙に大書して自室の壁にはりつけ、毎朝目がさめるとそれを復唱していた。

 

 僕の前に道はない

 僕の後ろに道は出来る

 ああ、自然よ

 父よ

 僕を一人立ちにさせた広大な父よ

 僕から目を離さないで守る事をさせよ

 常に父の気魄を僕に充たせよ

 この遠い道程のため

 この遠い道程のため

 

 今でも暗唱できるほど気に入っている。

 この詩から、過去を見つめることの大切さを教えられた。

 よい思い出や体験、またそうでないことも、人生には様々なことがある。

 時には消してしまいたい過去もある。

 悔いをさがせばだれにでも、いくつでも出てくるであろう。

 私にも、人に言えないことはたくさんある。けれど、そんな時にこそ、自分自身から目を離すことをせず、広大な自然の気魄を心に満たすように心掛ける。

 深呼吸をひとつして、一息ついてから、自分がやってきたことをふりかえる。

 反省と、自己検証の中からこそ、私の前に新たなる道があらわれてくるような気がするのだ。

 次の一歩を踏み出すためにも、私はこれまでたどってきた道を書き残しておく必要があることを感じ、この本にまとめることにした。

 スポーツの真ん中でこれまで生きてきた私は、あらゆる角度から自分の可能性を見つけ、引き出すことができた。

 プロレス道場で若手をコーチしたり、

 リングの上でケガをしたり、

 オリンピックに出場したり、

 転身のためにアメリカまで出かけたり、

 いろいろな体験の中に、自分を成長させ得(う)る要素を見つけ出してきたと思う。

 ひとつ過去を積み重ねるたびに、それが栄養となり、一歩前に踏み出せるような気がする。

 この本を手に取って読んで下さる方々にも、人には言えない、自分だけの過去があると思う。

 どうか、それぞれの後(うし)ろにできた道を踏みしめながら、これからの遠い道程を歩んでいってもらいたいと願ってやまない。

1994年5月

馳 浩


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